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夢の塾 塾長ZIGさん(川浦弘貴)がお送りする 
ちょっとした公式メルマガ
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頑張ってます

あなたは楽に生きてますか?

楽しさと夢と希望を応援する夢の塾
人生を楽に楽しくするお手伝いメルマガ
このメルマガの主な内容
音楽は人生を楽しくする
ケーナ・サンポーニャの話
わたくしzigさんはかれこれ20年近く南米音楽のフォルクローレをやってきています。そこで使われるケーナ、サンポーニャという楽器はそれは哀愁のあるどちらかというと日本人の感性に響く楽器です。「コンドルは飛んでいく」とか「コーヒールンバ」など聴きなれた曲もあります。ただ、この楽器を演奏するのはなかなか難しいものです。ですが、ちょっとコツさえつかめば100%鳴らせて演奏ができます。そんな話ができたらと思います。
油絵で何を描く
59歳の美術大学生LIFE
わたくしzigさんは57歳の時に思いきって洋画油絵コースのある美術大学の通信学生になりました。今までに一度も描いたことのない私が、「ほーそうなのか」と思うことばかりの美大生生活。美大生だからお伝えできることがいろいろとあるのではないかと思っています。
農業は大変な土木作業
農業奮闘記
わたくしzigさんは農業を10年ほどやってきてます。ほぼ一人作業なので夏場などはひたすら草刈りに明け暮れます。このところ台風や天候の大きな変化が続いているため、修復や補強作業など本来の農業とは違うことをやる時間がやたらに増えて、くたくたになって「辞めてやるー」と叫びながらまた明日を迎えるという日々です。
ブドウやブルーベリーのほかにニンジンやニンニクの栽培もやってますが、天候に左右され、イノシシやシカといったいわゆる「害獣」に手を焼きながらやってます。幸い、無農薬で草木肥料中心のオーガニックでやってますので作ったものはめちゃくちゃおいしいので健康に生きられてるのかなと思ってます
楽に楽しく生きる
悩み事はケセラセラなヒント
わたくしzigさんはとある市の教育委員会で社会教育のお手伝いをしたり、またある市の地域づくりを指導する指導員をしていたことがあります。その中ではいろいろな問題を抱えながら一生懸命生きている人々がいてそれほど深刻ではないけれど、「少し悩むよね」ということがたくさんあります。私も人に話すとちょっと楽になったり、新しい考えが浮かんだりするものです。自分を変えたい、夫婦の些細な問題、嫁姑のこととか、子育てのこととか、仕事の悩みとか。そんな話をしながら何かしら楽に生きるヒントをお伝えできればと思います。
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メールマガジン発行者紹介
ライフコンフォータブルアドバイザー
川浦弘貴(zigさん)
Hiroyoshi Kawaura ジグさん
ライフコンフォータブルアドバイザー(LCアドバイザー)って私が勝手につけた肩書です。人生を楽に楽しく生きるための応援者、アドバイザーです。私のいろいろな経験や今やっている活動などがみなさんの人生を楽に楽しくできるんじゃないかなと勝手に考えて、皆さんのために何かできるんじゃないかとこのメールマガジンを立ち上げました。なんだか今の世の中いろいろなものがたくさん手に入って有り余るぐらいなのになぜだかさみしい人がたくさんいたり、嫌なことをそれこそ嫌々やっていかなければならなかったり。なので、どこかで気を抜いて違うこと考えて、その時だけでもゆっくりとじっくりと楽しい時間を過ごすためのヒントを提供できたら素晴らしいんじゃないかと思っています。気を楽に生きましょう
発行者の履歴
昭和35年1月生まれ AB型
大阪市阿倍野区で生まれる、生粋の関西人

大阪市内の小学校中学校を卒業後、公立高校へ
その後一浪して関西大学経済学部へ入学

就職時期になり、何をしていいのかわからず「人間は何で生きてるんや?」から始め、映画「2001年宇宙の旅」を観たのがきっかけで「人間は物を作って生み出してこそ人間が生きている証」と思い込み、製造業へ就職、アパレル部門の企画製造担当となる。

数年たったころ「物を売ってみたい」という衝動が抑えられず、退職してローソンへ就職、社員から1年ほどで店長になり、独立するためにローソンフランチャイズを受ける。独立してローソンを経営おにぎり販売で近畿トップとなるも、体を壊して閉店。

「30にして建つ」というコマーシャルの影響で「30歳には家を建てなあかんねやな。そしたら、家を売っているところへ就職したら安く建てられるやろ」と安易に考え、住宅メーカーへ就職、3億円の家を販売して近畿地方の売り上げトップとなる。そのころからなんか世間が怪しいなぁと思っていた。のちに住宅メーカーを辞めてからバブルがはじけ、当時の同僚に「ずるいやつ」といわれることとなる。

当時住んでいた地区で30億円の病院を建てるという話が持ち上がっており、「そんなもん作るチャンスは一生のうちに一度あるかないかや」と住宅メーカーを辞めてその病院に履歴書を持って飛び込む

幸いなことに事務員として採用され、新病院建設の備品購入一式を担う。
生まれて初めて1億5千万の買い物をする。

病院が出来上がったらさっさと田舎暮らしの計画を立て始める

当時、小学校が少子化で空き始めており、「空いて使わんものなら、貸してくれるやろ」と軽く考え各市町村役場200町村に貸してほしい旨の手紙を書く。

「そんなもの貸してもらえるわけない」という身内を含め世間の言葉に耳を貸さず、出し続けたら広島県のとある町の町長から電話をいただく。
「そんなこと考えてるんなら一度来ませんか?」

平成10年広島県の5000人余りの町へ家族で移住、木造平屋の小学校を使った自炊民宿スタート。自然体験塾となる。6月~9月ごろまでのオープンで約1000組を超える団体客が来るまでになる。このころからケーナ・サンポーニャをはじめ、後に奏者として活動をし始める

移住後十年を迎えるころ義理の両親が相次いで脳梗塞になり兵庫県へ帰ることになる。

兵庫県へ戻って「これからは農業や!」と思い付きブルーベリーとブドウの栽培に取り掛かる。木が成長するのに3年はかかるということになりその間どこかでアルバイトを探すも、農業関係の面接にはことごとく落ちる。

思い付きで開いた他市のハローワークの求人に応募したら採用され期限付きの中学校のアシスタントになる。

期限が来たのでどうしようかと思っていたらそこの中学校の校長先生(女性)が「うちの旦那が教育委員長をやっている市が社会教育の非常勤を探している」といわれ、そこへお世話になる。そのころ、地域FM(コミュニティFMラジオ)と出会い、その後市民パーソナリティをさせてもらう
こんなに自由なFMラジオ放送局があるのかと感動し、自分の住んでいる市にもあればいいのにと思う。のちに仲間とに出会いがあり、エフエム放送局を立ち上げるスタッフとなり開局へ進む。

住んでいる市のまちづくり指導員を経て、FM放送局のボランティアパーソナリティとなる。

その間に田舎移住時代から続けているケーナ・サンポーニャで教室を3教室開始し、絵をやりたいがために芸術大学の洋画油絵コースへ入学。

現在は自然現象と闘いながら細々と農業を続けているが、これらの経験を生かして、何か世間のためになることで生きていけないかと考えてこのメルマガを立ち上げる。

平成30年8月時点で58歳。


 
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時期の農作物をほんの少しどうぞ
わたくしzigさんは農業をやっております。
こだわりというか、薬が嫌いというか、無農薬で草木肥料系を中心にしたオーガニック農業をやってます。
今回
メルマガに読者登録していただいた方にささやかですがプレゼントをお届けします。時期的なものがありますのでその時期にあるものをほんの少しですがお届けしたいと思います。
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